風の足跡 ~風の旅人旅行記集~
~ 海外短編旅行記 第9話 ~

東南アジアツーリング紀行

*** ページの目次 ***

~~~ §1、プロローグ ~~~

時は西暦2000年。「2000年問題だ!」「ミレミアムだ!」と世間が大騒ぎしている頃、一人の若者がユーラシア大陸を横断を志して日本を旅立っていきました。まずは飛行機で中国大陸へ。旧正月の混乱の中、あくせくと香港から南下し続け、ベトナムへ入国。そしてベトナムを南下していき、カンボジア、タイへと旅は続いていきました。って、書くと少々大袈裟な感じがするのですが、まあ私がユーラシア大陸の横断を目指して旅立ったというだけのことです。せっかくユーラシア大陸を横断するなら移動手段は大好きなバイクで!といった思いはあったものの、手続きや国境越えの面倒くささから断念。大半はバスでの移動でした。しかしバイクで旅したいという願望もあり、ところどころでバイクに関わる旅をしていました。そのときに経験したバイクに関しての体験や過去の体験などの短い話を繋げて構成してみました。

~~~ §2、バイクの洪水、ベトナム ~~~

ベトナム1
交差点での信号待ち

中国から南下してベトナムにやって来ました。夜の到着だったのでその日は大人しく寝たのですが、翌朝町に繰り出してみてビックリ。目の前に凄まじい光景が繰り広げられていたかです。な、なんなんだ、これは・・・。なかなか言葉になりません。なんと目の前の道路を埋め尽くさんばかりのバイクが走っていたからです。話には聞いていましたが、ここまで凄いとは思ってもいませんでした。これにはただ唖然とするばかり。ただバイクが多いだけならそこまではびっくりしなかったかもしれませんが、道路を走っているのがバイクばかりなのが驚きに拍車をかけました。ここはバイクの楽園なのか?みんな車よりもバイクが好きなのかも。そんなロマンチックな考えはすぐに吹き飛びました。この国の所得の低さと貧困を考えると、車を買いたくても買えない高嶺の花というだけの事。だからスクーターに家族四人で乗っている光景は当たり前。それにしても・・・、これはまるでバイクの洪水ではないか。道路を土石流のようにバイクが押し寄せていては危なくて道路をおちおちと渡る事ができない。目と体が慣れるまで怖くて大通りを渡ることができませんでした。

ベトナム2
町中の風景

最初に訪問した首都ハノイを皮切りに、訪れるベトナムの大都市では同じような光景が繰り広げられていました。いわゆる菅笠(すげがさ)やアオザイ(女性の伝統衣装)と並んでベトナムらしいベトナム名物の光景といえますが、実際は危なくてしょうがありません。交通マナーが悪いので一方通行の逆走、信号無視は日常茶飯事。ひどい時は一日に目の前で3回もバイク同士でぶつかっているのを目撃しました。バックミラーで後方確認というのは皆無に等しく、原始的に手で合図を出して強引に車線変更や、交差点を曲がる光景もよく目にします。第一ミラーというものが付いていないバイクの方が多く、付いていても女の人などは自分の顔に向け、信号で停まる度に髪が乱れてないかチェックしていたりしていました。なんというむちゃくちゃな国だ。呆れていたのですが、ベトナム人に言わせると、ミラーが付いていると逆に引っかかって危ないんだとか。そう言われると、そうかもしれない。日本でも車の渋滞をすり抜けるときはミラーが邪魔だもんな。しかしあまりにもひどすぎるぞ。何度か道路を渡ろうとして冷や冷やする思いをしながら思ったのでした。

面白い事に、ベトナムを走っているスクーターはホンダ車ばかりで、この国ではバイクの事をホンダと呼んでいます。だから「俺のホンダが調子悪くて」とスズキのスクーターを見せられても突っ込まないように。一番人気があるのはメイド・イン・ジャパン製のドリーム2。値段も高く、排気量は120ccだったかな?とにかく日本では走っていない型のものです。ホンダは日本でこんなものを作っていたのか?そんな採算の合わないことをするはずはない。よくよく話を聞くと、エンジンだけが日本製で、周りの外装などは東南アジアで作られ、組み立てられているそうです。

ベトナム3
ベトナムの国道一号線
ベトナム4
田園風景

こんなめちゃくちゃなバイク文化を持った国でも何度かバイクに乗る機会がありました。まず最初に乗ったのがベトナムの真ん中に位置するフエでした。前日に参加したツアーで通った道沿いの田園風景があまりにも美しかったので、翌日バイクをレンタルして見て周りました。普段日本でごちゃごちゃした光景ばかり見ていると、だだっ広い風景に憧れてしまうものです。バスや列車では通過してしまう風景ですが、バイクだと時々のどかな風景にたたずんだり、写真を撮りながら走る事ができるのがうれしいところ。それにしても・・・、走っている道はベトナムの国道1号線なのにあまりにも寂れ過ぎ。首都ハノイと南の大都市サイゴンを結ぶ2000kmにも及ぶ大幹線道路だというのに・・・。車が少ない社会を象徴しているのかもしれません。田園風景を存分に楽しんだ後は、田舎の市場を訪れてみると、滅多に観光客が来ない場所だったようで珍しい客だと大歓迎されました。普段出会えない人に出会えるというのも、バイクに乗って旅する魅力の一つなのです。

それ以外では、ベトナムの田舎ムイネでホームステイをしているときに、ちょくちょくと滞在先のスクーターに乗る機会がありました。とりわけ衝撃だったのが、そこで初めてベトナム式の4人乗りを体験した事です。一番後ろに乗ったのですが、これが非常に怖いものでした。乗った時点でシートのぎりぎりの位置なので、ちゃんと捕まっていないとちょっとした振動でバイクから落ちそうになります。道はあまりよくないし、バイクのマナーも悪いときたら、いつ衝撃がくるかわかったものではありません。後は運転手を信じるのみ。乗っている間、常に気を緩める事ができませんでした。

ベトナム5
スクーター四人乗り
ベトナム6
滞在先のおっさん

一般的に路上で見かける「家族4人乗り」では、一番前が一番小さな子供、そして運転手のお父さん、そして大きい子供、そしてお母さんの順番です。子供がバイクから落ちないように乗るなら必然的にこうなるようです。生活の知恵?いや、本当に安全に乗ろうと思うなら3人までが限界に感じました。

実際に私が運転する事は、滞在先の仕事がらみのことが多かったです。滞在先はカメラマン(ビデオ、スチール)兼、テイラー兼、テーラー関係の雑貨販売と色んなことをやっていました。片田舎なので1週間に1度ぐらいの割合で商品や写真も現像のために、地方都市へ出かけていきました。この家庭に限らず、ほとんどの家庭では車がないので物資の運搬は基本的にバイクで行っています。過積載という概念がまるでないので、バイクに載せれるだけの物資を積み込み、さらには後部座席に乗る人間が持つといった、4人乗りに負けないぐらい危ないものでした。よく一緒に連れて行かれ、おっさんが疲れたときなどは代わりに私が運転したりしました。

撮影の仕事のときは、運転手だったり、アシスタントだったり、カメラマンだったりと私の出動機会も多かったです。基本的にはビデオカメラでの撮影がメインで、同時に写真撮影の仕事も入ると、私の出番。カメラマンとして腕を振るい、パシャパシャ写真を撮って、滞在させてもらっている分ぐらいは稼いだようです。ビデオだけで写真撮影がないときは、バイクでおっさんを送迎したり、機材運びを手伝ったりしました。撮影は葬式か結婚式のときで、撮影のときには新婚の乗る車の横を併走してビデオ撮影をしたり、葬式の列を取るときなどもバイクで追いかけたりと活躍しました。それもこれも私の運転がうまかったからできたのでしょう。きっと・・・。

~~~ §3、東南アジアバイク周遊計画 ~~~

ベトナム7
ダグラスとハノイの宿で

東南アジアをバイクで回ろうと考えたのは、中国からベトナムに入国した翌日でした。中国の国境手前の町でアメリカ人のダグラスと出会い、一緒に国境を越え、そのままハノイで部屋をシェアしたのですが、「俺はバイクでベトナムからタイへ行くんだ」と、バイクを購入しようとしていました。バイクの旅行は憧れるものの買い方、国境の越え方が分かりません。今までも発案までは何度かしましたが、実際に行動には移せませんでした。これはいい機会だ。興味があったので彼に同行してバイク街を回ってみることにしました。

さすがはバイクの楽園というだけあって、バイク街には多くのバイク屋が並び、店先にはバイクのパーツが所狭しと展示してありました。中古バイクはないかなと探し回ったものの、新品を置いているバイク屋やパーツ屋は多いけど、中古を扱っている店はほとんどありませんでした。走っているバイクが多い反面、中古バイクがほとんど出回っていないのが、ベトナムのバイク市場の現状のようです。バイクは財産といった感じなのでしょう。それに家族や親戚が多いベトナム人のこと。店に売るよりは知り合いに安く払い下げるのが一般的な感覚なのかもしれません。結局いいものが見つからず、ダグラスは翌日、宿の人のつてで宿の人の知り合いからバイクを購入することになりました。

今回彼が買うのを見ていると、いたって簡単。これだったら私でもできるのではないか。挑戦してみようかという気になってきました。バイクでの旅とはワクワクしてきます。しかし現実問題として、衝動買いでバイクを手に入れて東南アジアを一周するというのはあまりにも無謀というものです。まず第一にどうやって国境を越えるんだ?それに治安や道路状況は?バイクは故障しない?いくら?などなど疑問が噴出してきます。まずはダグラスの様子を見つつ、ちゃんとした情報収集をする事にしました。

ダグラスや他の旅行者から情報を集めたところ、バイクはソ連製のミンスクという単気筒バイクか、スクーター(日本でいうホンダのカブ系のものが何種類か)の二種類しか選択肢がないようです。ダグラスが買ったのはミンスクなのですが、なんとも貧弱。シンプルな外観はロシア製軍用バイクといった感じで、中身は時代遅れの産物といっても過言ではない代物でした。かといってスクーターで回るのはいまいち雰囲気がでません。となると、バイクで回るならミンスクという選択肢しかありません。値段は中古で500~800ドルぐらい。ダグラスが言うにはバンコクで同じような値段で売れるそうだ。まあそれは話がうますぎるとしても、値段的には買えなくはありません。

しかしどうやって国境を越えるんだ。ダグラスに聞くと、今日大使館に聞きに行ったら、そのまま通過できると言われたそうだ。なるほどと頷くものの、手続きの話は単語が難しいから私の英語力ではいまいち理解できません。うまくダグラスに予定をあわせて一緒に国境を越える手もあるぞ。とりあえず聞いてみよう。「で、いつ頃カンボジアに行くんだ?」と聞くと、「俺はカンボジアには行かないよ。ラオスに抜けてタイに行くんだ。」「えっ」、てっきり私と同じようにカンボジアを回っていくものだとばかり思っていたので驚きました。よくよく聞くと、ベトナム南部は反米思想が強いからあまり行きたくないし、カンボジアは治安が悪く、道がひどいからバイクでは走りたくないとの事でした。おまけに「お前もバイクで回るならカンボジアには行かないほうがいいぞ。」と真面目な顔で言われてしまいました。なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。アメリカ人だから大袈裟にそんなことを言っているのかな。最初はそう思ったのでしたが、実際、色々な人に聞いても答えは一緒で、「カンボジアは走るべきではない!」との事。しかし聞くのが欧米人ばかりなので、いまいちはっきりしません。

カンボジアがどういう状態なのかいまいちはっきりしないし、いいバイクも見つからなかったので、とりあえずバイクの旅は保留する事にしました。そんなこんなでハノイに滞在している最中に食中毒になってしまうというハプニングが起きました。体調は最悪。少しでも暖かい場所に行こう。急遽南下することにして、細長いベトナムの真ん中にある都市フエに移動しました。ここから西に向かえばラオス国境。さてどうしたものか。ここには有名な日本人宿があり、そこに宿泊したので色々と情報が集まってきました。どうやらカンボジアは本当に道が悪くて、治安も悪いとの事。実際にカンボジアを通ってきた旅行者がそういうのだから間違いない。となるとバイクの旅は諦めるか。ここから一度ホーチミンまで下り、また戻ってきてラオスに行くという手もあるが、改めてカンボジアに行かなければならなくなり、ルート的には時間のロスが大きい。ロシア製のミンスクもいまいち信頼性にかけるし。結局、ベトナムでバイクを購入する計画は諦める事にしました。

カンボジア
ダンシングロード
ベトナム6
スタックする4WD

その後ホームステイなどを経験して、カンボジアに入国。もうダグラスはバンコクに着いたかななどと考えながら、いざカンボジアをバスで走ってみると、道が穴ぼこだらけでびっくり。当たり前のようにぼこぼこと道に穴が空いている状態でした。おかげで車は穴を避けるために常に蛇行しながら走らなければならなく、また避けきれない穴も多く、普通に座席に座っていても尻が痛いし、ちゃんと捕まっていないと手や足や頭をぶつけて痛いと最悪な状態でした。どんな行儀のいい人でも自然と踊りだすといったダンシングロードとは良くいったものです。なるほど。これはみんなが忠告してくれた通りだ。しかも西へ行けば行くほど道が悪くなり、アンコールワットからタイの国境まではオフロードさながら。雨上がりの後は泥だらけで走れたものではありません。今回は見送って正解だったようです。それについ2週間前にシージャックが起き、多くの観光客が人質になる事件が起きていました。カンボジアはポルポト派の内戦が終わったばかりなので、治安はいまだによくありません。道もひどいもの。遺跡も内戦中は手付かずだったのでぼろぼろ。なんか色々とこれからの国だなと感じました。きっとこれからどんどんとインフラなどが整備されていき、国が復興していくにちがいありません。道がきちんと整備されればそのときこそバイクで旅してみたいものです。ただ、その頃には年を取りすぎてバイクで旅をしたいといった発想すらなくなっているかもしれませんが・・・。

~~~ §4、思い出のタイツーリング ~~~

ベトナムからカンボジアへ。そして無事にタイへ抜けました。カンボジアのダンシングロードを経験した後では、タイの道はまるで飛行機に乗っているかというぐらいに快適に感じました。それと同時に道路に占める車の割合の多さに感動。なんか都会にやってきた気分です。そしてタイの首都バンコクに到着。どこかにダグラスがいないかなと思いつつ、再びバイク周遊計画を思いつきました。タイからシンガポールへ。そして再び戻ってラオス、タイ北部を回れば十分にバイク旅行を楽しめるではないか。しかし、タイを訪れる旅行者は多くても、タイでバイクを買ったという話はあまり聞きません。ベトナムやカンボジアに比べると法律がしっかりとしていそうだし、まずはちゃんと確認しておいたほうがいいな。という事で観光案内所に行き、バイクについて聞いてみる事にしました。

観光案内所で尋ねると、外国人でもバイクは買えるとの事でした。「ではバイクでシンガポールへ行くのは可能か?」と聞くと、「多分大丈夫だと思う・・・英語が通じていいバイク屋があるから、詳しくはそこで聞くといい」と教えくれました。なかなか明るい兆しだ。タイなら治安もいいし、道もいい。それにシンガポールやマレーシアは物価がそれなりに高いから、バスに乗ったとしても移動費がそれなりにかかります。バイクで移動するメリットもそこそこあるはず。早速教えてもらったバイク屋に向かいました。

バイク屋ではおっさんが英語で親切に対応してくれました。しかし話を聞いていくと、中古のバイクでも結構値段が高いし、手続きにはかなり時間がかかるとのこと。タイ国内だけで乗るなら、他人名義で申請すればすぐにでも乗れるぞと教えてくれるものの、一週間後に友人がシンガポールに会いに来てくれる事になっていたので、とりあえずシンガポールへ向かうことにしました。今回も東南アジアツーリング計画は流れてしまいました。タイ国内のツーリングならいつでも可能か。しかしそれはあまり魅力的に感じませんでした。なぜなら昔、大学のバイクチームの後輩二人と一緒にちょこっとだけですがツーリングをした事があったからです。

バスの乗車券
借りたスクーター

思い起こせば1996年の事。後輩二人とタイを旅行中、タイ中部にある都市スコータイでバイクを借りて、付近のスコータイ遺跡などを見て回りました。日本出国前の計画では排気量の大きなバイクを借りて、ちゃんとしたツーリング気分を味わうことにしていたのですが、実際に借りる段階で値段の高さにびっくり。これは高すぎる。何日分の滞在費になるのだろうか・・・。タイの物価に少し慣れた頃だったので、日本円で考えるとそうでもなくても、えらく無駄な出費に思えてしまいました。だいたい遺跡見学を兼ねたツーリングに大きなバイクは必要ないな。小回りも利きにくいし。ということで、当初の計画とは裏腹にスクーターのカブになってしまいました。おまけにいざ乗ろうとすると、3台しかない1台が調子悪く、エンジンがかかりません。どうなってるんだ。バイク屋のおっさんもだめだこりゃと、首を横に振っる始末。仕方ないので2台借りて、片方は二人乗りで使うことにしました。予算的には安く収まったのですが、せっかくタイまで来たのに3人で走れなかったのが非常に残念でした。

店のおじさんに注意事項を聞くと、料金は1日あたりの値段で、明日の朝同じ時間に返せばよいとの事。ヘルメットはかぶらなくてもいいようで、ガソリンは満タン返しではなく、なくなったら入れてくれとの事。うまくガソリンを入れないと損をするシステムです。案の定、タンクの中は二台とも既に空っぽ同然。まずはガソリンスタンドを探すことから始めなければなりませんでした。

バスの乗車券
バスの乗車券
スコータイ遺跡

スコータイまでは真っ直ぐ大通りを行けば着くので、まず迷う心配はありません。途中でガソリンを入れ、真っ直ぐの道を我々は抜けるものなら抜いてみろといった感じで爆走。何事もなく我々はスコータイ遺跡に到着しました。スコータイの遺跡は綺麗に整備されていて、公園のような遺跡でした。ガイドブックを見ると、近年ユネスコによって整備されたとあります。広い遺跡内は、まるで幼い頃に行ったアスレチックのようでした。直に遺跡に触れる事ができるので、あるものは上まで登り、あるものは洞窟のような内部を探検。我々は子供のようにはしゃぎまわりながら遺跡を周り、写真を撮りました。

中心部の遺跡はそれなりに密集していましたが、それ以外は一つ一つが少し離れていて、もし歩いて周っていたら大変でした。しかしバイクがあればすいすいと行けます。バイクでの移動を楽しみ、そして遺跡見学も楽しみ、遺跡の大半を見終わった頃には夕方になっていました。もし大きなバイクを借りていればもっと遠くの遺跡まで行けたけど、十分に満足だ。バイクのおかげで遺跡見学も楽しかったと、スコータイ市街へ戻る事にしました。

朝走ってきた道を無敵のスクーターだと調子こいて戻っていると、先ほどまですぐ後ろを走っていた後輩がバックミラーに写っていないのに気が付きました。あれっ、どうしたんだ。慌てて止まり、振り返ってみると、かなり後方で止まっていました。慌ててUターンして、後輩のところへ行くと、「バイクから何か変な音がして、どうもスピードが出ないんですよ。」とのこと。試しに私も乗ってみましたが、やはり何かおかしい。一通り点検したものの、目に付く異常はありませんでした。残るはエンジンの中か、ギアーボックスの中だけですが、こればっかりは素人にはどうしようもありません。第一工具もない。諦めよう。案外プラグのせいで単に出力がダウンしているだけかもしれない。スピードを落としてゆっくりと帰ることにしました。しかしゆっくりと走るとタイの道は怖かった。後ろから勢いよくバスや車が追い抜いてくるからです。風圧で倒れそうになるのを我慢し、バイクも壊れないようにだましだましといった感じでなんとか宿まで帰ることができました。そう言えば一ヶ月前、トルコでバイクを借りた時も、ブレーキが壊れるは、タイヤはパンクするはで大変な思いをしたっけな。案外私はトラブルメーカーなのかもしれない。

翌朝、バスで移動する日なので、スクーターを返しに行かなければなりません。幸いな事にバスの発着場がバイク屋の近くなので、バイクを返すついでに荷物も運んでしまおう。しかし一回で全てを運びきるのは無理でした。人間の他にバックパックがあるからです。とりあえず私が荷物を持った後輩を後ろに乗せて、第一便として出発しました。もう一人の後輩とスクーターは、残った荷物と宿の前で待機。そうすれば、荷物の番を絶えず誰かがしていることになります。重い荷物の為ふらふらしながらレンタルスクーター屋の前に到着し、後輩と荷物を下ろして、すぐ宿に戻りました。後ろが軽くなり気分もいい。気持ち良く車の流れにのって走っていると、交差点の真中で交通整理をしているおまわりさんと目が合いました。その瞬間、こっちへ向かって笛を吹き、何か怒鳴り始めました。何だ?と思ったのですが、気にせずに通りすぎる事にしました。でも今のはどう考えても私に対してではないか・・・何か悪い事でもしたのかな?と不安になって周りを見ると、昨日は誰もヘルメットをかぶっていなかったのに、今日はみんなかぶっているではないか。かぶっていない不良は私だけだ・・・。一体どうなっているんだ。なんだかはめられた気分でした。とはいえ、ヘルメットなんて持っていません。追ってこないみたいだし、とりあえず後輩の待っている宿に向かいました。

バスの乗車券
地元の人みたいな後輩

宿に着くと後輩が首を長くして待っていました。みんなヘルメットをかぶっていて、かぶっていないのは私だけで、おまけにおまわりさんに捕まりそうになったと話すと、不安そうにしていました。誰だって海外に出てまで交通違反で捕まりたくはありません。捕まるのは日本だけで十分です。しかし現実問題としてないものはしょうがない。ちょっと遠回りをして、先ほどのおまわりさんがいた交差点を迂回して行く事にしました。ノーヘルで捕まったら一体罰金はいくら取られるのだろう?物価が安いから200~300円程度なのだろうか?ノーヘルは日本だったら減点はなく罰金だけで済みます。海外なので免許書の減点はまずないと思いますが、案外パスポートに交通違反1などと書かれたりするのかな。それはそれで記念になりかも・・・。結局、ドキドキしながらも無事にバイク屋に到着しました。しかしこのおまわりさんに捕まりそうになった事が強烈に印象に残ってしまい、この時タイで行ったツーリングの一番の思い出になってしまいました。せっかくタイで走ったのに・・・。

~~~ §5、マレー半島縦断ツーリング ~~~

モスクワのマック
シンガポールの街で

シンガポールまでたどり着いても、東南アジアバイク一周計画を捨てきれずにいました。しかし現実問題、購入方法や越境に関してはなかなか難しいものがあります。そこで発想を変えて、バイクがだめなら手軽に購入できる自転車で回ってやろうではないかと考えました。シンガポールからタイのバンコクまでは恐らく2千数百キロ。ちょうどマレー半島を縦断する事になりますが、地図を見る限りではおおむね平坦な行程です。これぐらいなら私にでもできるはず・・・多分、、、時間をかければだけど・・・。エンジンに頼らず自分の足でこいで世界を回るんだといった決意のもとで自転車を購入しました。まずは、足を鍛えなければ話にならない。シンガポール内を気合を入れて走り回りました。そして筋肉痛に苦しまなくなった頃、旅立ちを決意しました。シンガポールからマレーシアへ国境を越える日。それはマレー半島縦断ツーリングの開始日でもありました。

ちゃんとしたサドルバックはシンガポールでは高かったので、荷台にバックパックを縛り付けて出発しました。これが結構重く、バランスをとるのが大変でした。ふらふらしながらもなんとか国境に辿り着きましたが、この先自転車での旅を続けるなら低い位置に重心を保てるサドルバックの必要性を痛感しました。そして国境では車用のイミグレには入れなく、歩行者用の入国審査の建物に自転車と共に入らなければなりませんでした。よっこらしょっとエレベーターに載せ、廊下を邪魔になりながら押し、イミグレーションに到着。なんか目立っているぞ・・・。でもバリアフリーの概念が浸透している国でよかった。階段だったらしゃれにならんぞと思ってしまいました。

モスクワのマック
マレーシアとの国境で

シンガポールの出国審査を終えると、暇そうな係りの人が頑張れよと見送ってくれました。自転車に情熱をかける旅人ではないんだけど、でもまあちょっと鼻が高かいものです。そしてマレーシアのジョホールバルへ続く長い水道を走りました。ここが国境か。自転車で国境を越えるのは初めてなので、ちょっと感激。記念に真ん中付近で写真を撮っておきました。そしてマレーシア側の国境。こちらはいたって簡単に通過でき、ジョホールバルの市内に到着しました。今日は大きなイベントとして国境も越えたし、自転車に関しては素人なので初日から飛ばしたら足に疲労が残ってしまうだろうし、早いけど今日はここで宿をとろうではないか。初日から急いでもしょうがない。と言うことで安宿にチェックインしたのですが、部屋に入ると心地よい疲れがほどよい眠気を誘ってきました。一休みするか。1~2時間ぐらい昼寝する事にしました。

しばらく眠っていると、キュイ~ンと工事するような音が外から聞こえてきました。なんだろう。まあいいか。しかしなんかものすごく胸騒ぎがしてきました。もしや。急いで自転車のところへ行ってみるとチェーンロックが切られ、自転車が消えていました。なんてことだ。胸騒ぎが的中していました。頭が真っ白。これは困った事になったな。状況から考えるに明らかに宿の人が怪しかったのですが、何も証拠がないのでどうしようもありません。とりあえず警察に行って盗難届けと盗難証明書を書いてもらうことにしました。警察も本腰を入れて捜す気はないようで、新しいのを買うのが君にとっての一番の選択肢だと自信満々に言っていました。まあそうだよな。警察を後にすると、心を落ち着けるためにも付近の散歩でもすることにしました。まいったな。何で人のものを盗むかな。壮大な計画を実行中だというのに。全く持って迷惑な話です。最初はしょげていたのですが、時間が経つにつれて気持ちも落ち着いてきました。

宿に帰って保険の利用規約を何度も読み直すと、このような盗難の場合は自転車の購入代金が戻ってくることがわかりました。だったらいいか。まあそれなりに楽しめたし、国境を一つ越えたし、安い自転車だし、保険でお金は戻ってくるしってな感じでした。開き直ると次の旅に目がいってしまうものです。自転車がなくなったならインドネシアへ行ってみるか。そう思うとまた旅の高揚心が戻ってきました。それにしても私の中での壮大な計画であったマレー半島縦断ツーリングが、たった一日という短さで終わってしまうとは・・・。距離にして2000分の40キロぐらいか。まったく笑ってしまう話です。

~~~ §6、スマトラ島ツーリング ~~~

自転車がなくなってしまったので、再び身軽な旅人に戻ってしまいました。さてどうしたものか。とりあえずバスで北上し、マラッカに行く事にしました。ここからはマラッカ海峡を隔てたインドネシアのスマトラ島に船が出ています。よしっ、インドネシアに行ってみるか。このままバンコクに戻るのも癪だしな。マレー半島を縦断する予定が船に乗ってスマトラ島へ渡る事となってしまいました。この行き当たりばったりが旅の醍醐味に違いありません。そしてインドネシアに入国した翌日にはブキティンギに到着し、未だに原住民が半裸で暮らすシベル島への10日間のツアーに参加する事にしました。予め計画をしていたわけではなかったのですが、今まで以上に人が行かない場所や人がやらない事をやろうといた気持ちが強くなり、ちょうど到着した日の午後にツアーが出発するので飛び入りで参加した次第です。

シベル島
シベル島での生活体験

実際に未開の島というシベル島を訪れてみると、想像はしていたものの原住民は観光ずれしていて、物のおねだりばっかりでした。それに一番がっかりしたのは女の人がちゃんと服を着ているではないか・・・とほほほ。とはいえ、ここは真のジャングルであるという事実には変わりません。電気、水道、ガスのない場所なので、10日間は文明社会とは程遠い生活をしなければなりませんでした。おまけにここはマラリア危険地域に指定されていて、蚊や蛭などといった昆虫などとも戦わなければなりませんでした。そして壮絶なるジャングル生活を体験し終え、ひもじい思いをしてブキティンギへ戻ってくると、妙に文明の利器であるバイクに乗りたくなってきました。あ~バイクに乗りたい。10日間何も娯楽のない世界だったからな。それに島から戻って幾分体調を崩していました。もしかしたらマラリアの予兆か?ちょっと心配。この際だからバイクに乗ってスカッと気分転換しようではないか。そんな気分でした。

代理店を兼ねている宿の人に、どこかでレンタルバイクをやっていないかと尋ねると、友人のスクーターをレンタルしてくれる事となりました。ベトナムでよく乗っていたタイプのスクーターで、これならスピードが出るし、言う事なし。という事で、滞在先のブキティンギ周辺をツーリングしてみる事にしました。ブキティンギ周辺は変わった屋根の建物があることで有名です。船を逆さにして屋根にしてしまったようなスタイルは、ミナンカバウ建築といい、牛の角をイメージして作られているとか。闘牛なども盛んな土地なので、古くから牛に対して信仰心を持っていたようです。それ以外は特に珍しいものはありませんでしたが、バイクに乗れる事自体がうれしくて仕方ありません。まずはミナンカバウ建築の象徴である王宮跡を見に行く事にしました。

インドネシア1
南国らしい道
インドネシア2
田舎の風景
インドネシア3
王宮跡

地図を見ると王宮跡まではちょっと距離があり、幹線通りから行く方法と、田舎道から行く方法とありました。どっちにしようかなと迷うことなく、田舎道のほうを選びました。今までの経験上、その方が時間はかかっても色々と楽しめそうな気がしたからです。ルートと目的地が決まったので、いざ出発。ここは日本と同じく左側通行なので、走りやすく、迷うことなくブキティンギを脱出できました。郊外に出るとのんびりとしたもので、子供たちが写真を撮ってくれとせがんできたり、牛が道路を横切っていたりと、田舎を走っているんだといった気分でした。しばらく走ると、道は段々と山道になり、道幅も徐々に細くなってきました。そして辺りはうっそうとした熱帯雨林。なんかすごくジャングルっぽくなってきたぞ。これぞ人生初となるジャングルツーリングだと一人ではしゃいでいました。

王宮跡はちょとわかり辛いところにありましたが、それはそれ、長年の感で何とかたどり着く事ができました。復元されたという建物は、想像以上にでかく、かなり派手な外観をしていました。さすがは王宮。そんじょそこらの建物とは格が違います。中は博物館になっているので、せっかくだから見学してみる事にしました。かなり豪華な内装を期待していたのですが、中はいたってシンプル。なんでだ。復元の工事費をケチったのか。しかしよくよく考えてみると、このくそ暑い土地で重厚な装飾を施した内装は暑さを増やすだけ。それよりも風通しをよくし、涼しさを優先したほうがいいに違いありません。南国の知恵を学び、少し賢くなって王宮跡を後にしました。

その後は近くの町へ行き、ガソリンスタンドでガソリンを入れました。そしてビックリ。ガソリンの安い事。1リットルあたり30円ほど。こりゃいいや。日本でもこのぐらいの値段だったらうれしいところです。とはいえ、なんでもありのお国柄。何が入っていて、どれだけ薄められているのかは不明。もし自分のバイクに入れるなら値段が高くても信頼のおけるもののほうがいいかなと思ったりもしました。

その後はうまく周遊できるようにルートを決め、田舎道を走る続けました。そして食事をし、比較的ブキティンギに近いマニンジャウ湖に向かって走っている時、なんと言えぬ気だるさに襲われました。何だ。異様にだるいぞ。バイクの運転をするのもだるい。いや生きているのもだるい。そんな感じでした。今までバイクを運転していて、こんな気持ちになるのは初めてです。このままバイクで事故ってしまおうかな。次のコーナーでガードレールに突っ込むぞ。いえ~いアイルトン・セナだ。といったすさまじい気だるさに変わってきました。とその時、マナーの悪い車がすぐ横をバヒュンと抜いていきました。その瞬間、私の中のスイッチが入りました。こら~待て!気が付くと車を追いかけている私がいました。どうやら正常に戻ったらしい。しかし今のはなんだったんだ。このけだるさ。後から考えると、これが一回目のマラリア発病の兆候だったのかもしれません。それがアドレナリンで抑制されたのかも・・・。ってそんな都合よく治ったりする病気ではないよな。

その後は常にアクセル全開。ちょっと気合を入れて走ることにしました。気を抜いて走っていると再び得体の知れない気だるさに襲われるような気がしたからです。そして湖の手前、44の九十九折り峠に差し掛かった時、とうとうバイクにトラブルが発生しました。アクセルのスロットルをひねってもスカスカと回るだけ。ちっとも前に進まなくなってしまいました。過激なアクセルワークにアクセルワイヤーが耐え切れなかったようです。何てことだ。今回はマシントラブルがないと喜んでいたのに。さてどうしたものか。ワイヤー部分を分解してみると、比較的スロットル側でワイヤーが切れていました。これならいけるぞ。アクセルワイヤーを手で引っ張りながら走る事にしました。この展開は昔のトルコと一緒だな。それにしてもバイクをレンタルする度に毎度毎度よくトラブルが起きるものだ。

インドネシア4
峠の上から見た湖

慎重に九十九折りを下り、なんとかマニンジャウ湖に到着しました。峠の上から見た感じではきれいそうな湖だったのですが、実際に近くで見ると濁っていて汚い。熱帯の湖だからしょうがないのかな。先日のツアーで一緒だったカナダ人とドイツ人がこの付近に滞在しているはずなので、散歩がてらちょっと探してみましたが、残念ながら見当たりませんでした。特に見所もなく、あまり長居する場所でもないので、すぐに引き返す事にしました。

今度は九十九折りを上り、ブキティンギを目指しました。予定では他に何箇所か寄って帰るつもりだったのですが、バイクは壊れ、体調も微妙なので、早めに宿に戻る事にしました。バイクに乗りなれているとはいえ、片手でハンドルを支え、片手でアクセルワイヤーを引っ張りながら調節しながら運転するのは結構大変で、特に走り出しには神経と体力を使います。信号がない場所でよかったと思いつつ、何度か転けそうになりながらなんとか宿に到着しました。そして宿に人に壊れたよと報告。少なくとも私は悪くないはず。転んだり、ぶつかったりしていないのだから。それは宿の人も分かってくれたみたいで、しょうがないなといった感じでした。それよりもマニンジャウ湖からこの状態で戻ってきた事に驚き、お前はすごい、バイクの運転のプロだと感服していました。その言葉に気をよくした私は、修理代の半額を払う提案を自ら申し出てしまいました。もともと比較的安い値段で借りていたし、レンタル用のバイクではないので、なんか悪い気がしたのも事実です。やれやれ今回も疲れるバイクの旅だったな。疲れたので宿で一休みする事にしました。バイクは修理すれば直るけど、人間はそうはいきません。今はマラリアにかかっているのかが一番の心配事でした。明日調子悪かったら病院に行こう。いつの間にか意識は夢の中へ旅立っていました。

~~~ おまけ ~~~

その後、スマトラ島を後にした私はジャワ島へ移動しました。時々頭痛がするものの、特に体調が悪くなるような事はなかったので、マラリアというのはきっと勘違いだったに違いない。忘れる事にしました。そして、カリマンタン島へ旅が続いていきました。しかし、カリマンタン島に上陸したその夜、再びマラリアの症状に襲われました。今度のは強烈でとんでもない寒気がしました。赤道直下でセーターを着て毛布をかぶり、震えている私は一体何。このまま死んでしまうのかと不安になりながら夜を明かすと、熱っぽく、体がだるいものの大分正常に戻っていました。今回も気力が勝ったようです(マラリアの症状に酷似していますが本当にマラリアだったのかは今でも疑問)。一ヵ月後、でもやはり・・・あまりに心配になって血液検査をしてもらうと、体内にマラリア菌は入っていないから大丈夫だと言われました。まあ初めての経験だったのでちょっと大袈裟に考えすぎていたようです。

東南アジアツーリング紀行  ー 完 ー

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<海外短編旅行記 第9話 東南アジアツーリング紀行 2006年6月初稿 - 2015年10月改訂>