風の足跡 ~風の旅人旅行記集~
~ 海外短編旅行記 第6話 ~

灰色だったハノイの空

*** ページの目次 ***

~~~ §1、ハノイの町 ~~~

<2000年1月>
ハノイの町で1
ハノイの商店街で
ハノイの町で2
ホアン・キエム湖
ハノイの町で3
博物館で見かけた
ベトナム名物?自転車大砲
ハノイの町で4
バイクだらけの道

ベトナムの首都ハノイは、ハノイ36番地として有名なように古い商店街が並び、歩いていると首都というよりも下町といった感じを受けます。
東京でいえば千駄木辺りの商店街がひたすら続いているといった感じでしょうか。
だから、町を行き来する人々も、都会人っぽく忙しそうに見えながら、やはりどこかのんびりとした印象を与えてくれます。
町の中心にはホアン・キエム湖があり、その周りは広々とした公園となっています。
そこをぶらぶらと散歩していると、自分が社会主義の首都に来ているとは思えないほど落ち着いた気分になれました。

しかし観光をするとなると、がらっとイメージが変わってきます。
数多くある博物館のほとんどがベトナム戦争関係のもので、訪れるとやたらとベトナムの軍事力の凄さや、ベトナム人の偉大さを強調していて閉口。
やはり社会主義の首都なんだと実感せざるを得ませんでした。

でもまあそういったことは観光客にはあまり関係ないこと。
無視すればそれで済むことなのですが、どうしても同意できなかったのが、大通りなどでのバイクの暴走でした。
広い3車線道路なのにバイク専用道路上状態で、逆走、蛇行は当たり前。
これがベトナム名物のバイクの洪水なんだなと感心するよりも、勢いよく突っ込んでくるバイクが怖くて、慣れるまではなかなか道路を横断できなくて困ってしまいました。
そして何でこんなにバイクが走っているのというより、バイクばかりで車の姿がほとんどないという事実に驚きました。

そんなハノイへは、中国との国境手前で知り合ったアメリカ人旅行者ダグラスと一緒にやって来ました。
中国国境付近では、漢字の分かる私が主導権を握っていたのですが、ハノイに着くと観光客が多いせいか英語がよく通じ、立場が逆転してしまいました。
そんな訳で彼の案内で、一緒に安宿をシェアすることからハノイ滞在が始まりました。
彼とは2泊したのですが、その間彼のつてで色々な欧米人旅行者と話をする機会がありました。
普段は私自身あまり英語が得意ではないので、どうしても欧米人旅行者には積極的になれず、挨拶程度の会話で終わってしまうのですが、今回は食事をしながら、コーヒーを飲みながらとゆっくりしゃべる事ができました。
おかげで彼らの考え方やアジア人に対する目線、考え方、そして今後行くだろうという色んな国の情報を得ることができたのは大きな収穫でした。

もう一つ興味深かった事があり、それは彼がバイクで東南アジアを回ると言い、バイクを購入したことでした。
バイクの旅行は憧れるものの、買い方、国境の超え方がよく分かりません。
今までもやろうかなと発案まではするものの、実際に行動には移せませんでした。
しかし今回彼が買うのを見ていると、いたって簡単だし、東南アジアの国境も特に問題なく通過できるとの事。
これだったら私でもできるのではないか。
挑戦してみようかという気になってきました。
そして中古バイクを探してまわってみたのですが、新品を置いているバイク屋やパーツ屋は多いものの、中古を扱っている店はほとんどありません。
走っているバイクが多い反面、中古バイクがほとんど出回っていないのが、ベトナムの現状のようです。
バイクは財産といった感じなのでしょう。
それと親戚が多いので、身内などでの売買が多いのかもしれません。
結局いいものが見つからず、とりあえず購入は見送ることにしました。
そして私は当初の予定通り、ベトナム最北部の山岳地帯のサパに向かう事にしました。
バイクで南下していくダグラスとはここでお別れ。
お互い「グッド・ラック。シー・ユー・アゲイン」と別れ言葉を交わし、握手をして別れを惜しんだのですが、彼とは「シー・ユー・アゲイン」の言葉どおりハノイに戻ると再び再会し、フエ、ホイアンと再会し続ける運命にありました。

~~~ §2、大学生との出会い ~~~

サパの少数民族
サパの少数民族
夜行列車1
夜行列車の行き先板
夜行列車2
列車の運転手
夜行列車3
機関車の運転台
夜行列車4
夜行列車の寝台(ゴザ付き)

サパへ少数民族に会いに行った帰りの夜行列車の中で、ハノイの電機大学へ通う大学生と相席になりました。
お互い下手な英語での会話でしたが、趣味が同じ写真とあって、夜中の3時ごろまで語り合ってしまいました。
その会話の中で特に興味を引いたのが、「日本人は高慢ではないか」「アメリカ大嫌い」「ベトナムは貧乏だ」の3点でした。
「日本人が高慢なのは何故か?」と聞くと、「英語がろくにできないのに海外へ来ている。英語を必要だと思わず、日本語が世界中で通じると思っているのではないか。」という事でした。
「日本人は何年も英語を勉強をしているのに下手だ。なぜだ?」という質問は今まで何度かされた事があるのですが、この種の質問は初めてでした。
でも両者とも根本は一緒。
「これは大国と小国の差というやつで、日本で暮らす分にはTVも新聞も日本語なので、必要な情報は日本語で手に入るから英語を特に必要としていないんだよ。だから日本人は日本語が世界で通じる言葉だと思っているわけではなく、単に使う機会が少なく下手なだけだ。」と説明したのですが、あまり分かってもらえなかったようで、頷くものの浮かない顔をしていました。

実際、ベトナムなどの小国ではベトナム語だけでは質のいい生活はできません。
専門的になればなるほど英語などの外国語での情報となってしまうからです。
彼の話で例えるなら、外国製のカメラの説明書は英語で書かれていて、英語ができないと難しい機能を使うのが大変だったりします。
またカメラの新製品の情報などもやはり英語のサイトに行かないと手に入りません。
そういった感じで質の高いことをしようとするとなると、どうしても英語が必要になってしまいます。
同じようなことはヨーロッパ人旅行者の間でもよく聞かれます。
フランス、ドイツなどの大国の旅行者は英語の下手な人が多いのも事実です。
自国内ではすべて自国の言葉で済むからです。
逆にオランダ等の小国の旅行者は英語を流暢に話す人が多いです。
自国内で流れるTV、新聞が英語での物が多いから自然と英語が身に付いてしまうようです。

次にアメリカ嫌いだというのは、経済の話となり、現在アメリカの経済だけが順調に伸びているといった話となった時、あいつらはいばりすぎていてよくないと口調を荒くして文句を言っていました。
詳しく聞くまでもなく、ベトナム戦争の名残りなのでしょう。
しかし、民族間の問題なので、これ以上突っ込んで話をするのはためらってしまいました。
実際の話、中国が学校で反日教育をしているのと同じで、ベトナムでは反米教育をしているので、多くのベトナム人が必要以上に反米思想を持っています。
そういったこともあって、この時を皮切りに、以後ベトナム旅行中にアメリカ嫌いという話を耳にたこができるほど聞かされ続けました。

最後にベトナムは貧乏だと言うのは、流石に情報化の学生だけあって、インターネット等で他の国の物価、給料等を知っていて、ベトナムの物価水準の低さをしみじみと嘆いていました。
その原因として彼があげるのは、子供が多い事でした。
そう考えるのは学校でそう教えられているからなのか、それとも彼の考えなのかよく分かりませんが、確かにこの国は子供の数が異様に多いのは事実です。
まったくもって貧乏子沢山とはよく言ったものです。
彼にとっては日本製のいいカメラはちょっとやそっとで買うことができないし、他の国に行き、写真を撮ることも容易なことではありません。
しょんぼりと話しているのを聞いていると、気の毒に思えてなりません。
しかし、彼の口から今の政府体制が悪いとか、社会主義が悪いとかは出てきません。
子供が多いのも事実ですが、根本を変えないと駄目なんだ。
そう伝えたかったのですが、彼が今の政府に対してどう思っているのかわからないし、単なるお節介にすぎないので、ただ頷くだけにしておきました。

同じコンパートメントには途中から子連れの母親が乗り込んできました。
私たちが英語で会話しているので、最初は怪訝な顔をしていたのですが、そのうち大学生に通訳をしてもらって話に割り込んできました。
どうやら私が日本人でお金を持っていると感じたようで、寝ている自分の子供二人を指差して100万ドン(約8千円)でもらってくれないかと切り出してきました。
子供二人が8千円か。安いもんだ。
ベトナム土産に買って帰るかと思いながら笑っていたら、母親の目が真剣なのに慌ててしまいました。
冗談ではなかったのか。
それでもまだ冗談交じりに、「鞄に入らないからいらないよ」などと答えると、「いやこの子達はちゃんと自分で歩くから大丈夫」と、とどめの一撃。
なんて国だ。子供二人が8千円で買えるなんて・・・。
しかも平然と子供を売る母親がいるなんて・・・。
いやきっと私をからかっているに違いない。
万が一に本気だとしても私に引き取ってもらい日本で幸せになって欲しいと思う母親心に違いない。
いいように解釈するものの先ほどの会話がいかに深刻なことか思い知らされました。
アメリカ嫌いと同様に、このような事も今後のベトナム滞在中で何度か体験する事となりました。

彼の夢は100万ドルを稼ぐカメラマンになること。
「生涯に100万ドルを稼ぐことは日本では難しい事なのか?」と真剣に聞いている様子を見ると、この金額の大きさをよくわかっていないようでした。
なんだかとても微笑ましかったです。
この時に彼が教えてくれた憧れているんだというベトナム人カメラマンに、この後のベトナム旅行で出会うことになるとは、これもまた数奇なめぐり合わせなのかもしれません。
列車は朝早くハノイ駅に到着し、ここで彼と一緒に写真を撮り、再会を約束して別れました。

~~~ §3、水上人形劇鑑賞 ~~~

サパから戻った次の日に、ホームページで公開しているリアルタイム旅行記の記念すべき第一回目の原稿を郵便局に出しに行きました。
リアルタイム旅行記なので、 パソコンを携えながら旅をし、時間があるときに原稿を書いて、それをインターネットで流すというのが、一番手っ取り早そうです。
しかしながら、インターネットカフェで自分のパソコンをつなげる事が出来るのだろうか、フロッピーに入れたとしても簡単にデーターを送信出来るのだろうか、リアルタイム旅行記を作りながら旅行するなんていう事は初めての試みなので、全く勝手がわかりませんでした。
それに日本でやっと普及し始めたインターネットが、世界ではどれだけ普及しているかも不明。
一番無難な方法として原稿を書いて、日本にいる友人に送り、それをタイプしてもらう方法を選びました。
何かと手間がかかり、原稿を書くほうも、タイプするほうも大変ですが、これが一番確実なはず。
それに写真関係の荷物が多いので、これ以上荷物が多くなると重くて動けなくなってしまいます(*当時のノートパソコンは大きくて重い)。
という事で、昨夜手が痛くなる思いをして仕上げた原稿の入ったAirmail Japanの封筒を係りの人に見せ、規定の郵送料を払いました。
ちゃんと届くだろうか。届かなかった時の事を考え、原稿をコピーしておけばよかったかな。
係員のずさんな対応にちょっと不安になりつつも、後は原稿が無事に日本の友人の所へ届いてくれる事を願うしかありませんでした。

町のジュース屋
町のジュース屋
(博物館内にあった比較的
きれいなもの(お姉さんも))

郵便を出し終えると、一仕事終えたという満足感で一杯でした。
昨夜は手が痛い思いをしてよく頑張った。
ちょうど喉も渇いたことだしと、なんとなく近くの露店に座り、ジュースで乾杯することにしました。
今までは氷を入れて飲むようなことはしていなかったのですが、今日は頼んでもいないのに、勝手に氷を入れて持ってきてしまいました。
大丈夫だろうか?赤痢にでもなったらシャレにならんぞ。
捨てるか。ちょっと迷ったものの、地元の人が大丈夫なものだったら、同じ人間である私も大丈夫なはず。
原稿を送った後で気分もいい。こういう気分のいい時は腹を壊さないものだ。
それに冬で気候も寒いから病原菌も冬眠しているような、していないような。
えいやっと飲むことにしました。
もちろん今回の旅が始まってから、まだ一度も正露丸のお世話になっていないという、自分の腹の強さに自信があってのことでした。

その後、もしかしたら下痢や腹痛をおこすかもしれないなと覚悟していたのですが、特に何も起こらず夜を迎えました。
今日の夜は、週に2回上演されている水上人形劇の公演日。
あまり伝統芸能には興味ない私ですが、なぜ水上なんだ?水上で人形劇ってどうやるの?とちょっと興味がわき、せっかく公演の日にあたったのだから見に行く事にしました。
入り口でもらったパンフレットによると、ベトナム名物というより、ハノイ中心の伝統芸能との事でした。
チケットの席を探すと、安いチケットなので当然ながらかなり後ろの席でした。
まあ前のほうでやる気なく見ていては失礼だし、後ろの観客も不愉快だろうからちょうどいいや。
と、リラックスした状態で鑑賞する事が出来ました。

水上人形劇
水上人形劇

実際に見てみると、ある程度は想像していたとおり、まあこんなものかといった感じ。
ただ、水上でやる事によって普通の人形劇よりも奥行きのある動きができるのがメリットかなと思いました。
それと火薬を使っても、燃えない事。
派手なパフォーマンスもいくつかあり、そういうことが大好きな欧米人が歓声を上げていました。
しかしながらどうも私には伝統芸能というものが苦手で、退屈をしないで見れるのはやはり30分程度。
最後のほうはかなり暇をもて余してしまいました。
人形劇が終わると、演技者が裏から出てきました。
みんな水の中で演技していたんだ。こんな寒いのに。
その事に妙に感動して、他の観客に混じって拍手喝采。
それなりに満足して宿に戻りました。
明日の朝からはハロン湾へのツアーだし、昨日は原稿を書いて寝不足だしと、今日は早めに寝る事にしました。

~~~ §4、ハロン湾ツアーと腹痛 ~~~

ハロン湾ツアー1
ハロン湾ツアーのクルーズ船
ハロン湾ツアー2
ハロン湾ツアー3
曇り空のハロン湾

翌日、朝早くから海の桂林と呼ばれるハロン湾への一泊二日のツアーに参加しました。
ツアーの大型バスに乗り、ハロン湾に面した海岸に到着してみると、あいにくの曇り空で視界がよくありませんでした。
普段なら海岸からでもそれなりに奇岩が林立する景色が見えるはずなのに、まったく岩山が見えませんでした。
これではせっかくの素晴らしい風景が見れないのではないか。
でも船に乗って近くに行けばそれなりに見えるかも。
そう期待して船に乗ったものの、すぐ近くの岩山は見えてもその奥が見えないので、全く奥行きのないのっぺりとした風景となってしまい、せっかくのハロン湾クルーズも面白くありませんでした。
世界遺産の風景も曇り空には勝てなかったようで、がっかりしてしまいました。

クルーズを終え、ツアーの宿へ着くと、2人で一部屋を使わないといけませんでした。
安いツアーなのでしょうがありません。
独り者の私は同じように一人あぶれたイギリス人と同じ部屋となりました。
この人の容姿は厳つい体格をしている上にスキンヘッド。
一体何者なんだ。恐る恐る自己紹介をすると、急に笑顔になって自己紹介してくれました。
なんだこの笑顔は・・・もしかしてホモ・・・。
ちょっと引きつりながら話を続けると、名前はジョンといい、日本で1年ほど働いていたことがあり、日本人は親切だから好きだとの事。
そしてほんの少しながら日本語の単語で話してくれました。
お~意外な展開にびっくり。どうやらまともな人のようだ。よかった~。そして安心しました。
その後は色々と気さくに話してくれました。
この彼とも不思議なもので、ホイアン、カンボジアと再会をしています。
今思えば何かと腐れ縁の始まりが多かったハノイ滞在だったようです。

夕食後はジョンと少し話をしてベッドに入りました。
何も考えずグースカ寝ていると、深夜、急に寒気と腹痛で目が覚めました。
急いでトイレに駆け込むと、滝のような下痢。
なんか体がしんどいぞ。寝ぼけた頭で一体何事が起きたんだと考えてもよくわかりません。
とにかくこれは正露丸を飲んでおこう。念のため正露丸を持ってきておいてよかった。
と、正露丸を飲んで安心してベッドに入るものの、うとうとしては寒気と度々起こる腹痛でよく寝ることができません。
なんか重症かも。隣のベッドを見ると、ジョンは気持ちよさそうに寝息を立てて寝ています。
それを傍目に何で私だけと恨めしく思いながら何度もトイレに駆け込まなければなりませんでした。
思えば今回の旅行で記念すべき第一回目の腹痛。それもかなり強烈。

朝になっても腹痛、下痢は治っていませんでした。
ちょっとした食中りだったら、2~3回出すものを出してしまえば治るものなのですが、今回は少々事が重大なようです。
朝食の為下のホールに下り、テーブルにつくものの、食欲があるはずもありません。
他の面々の顔をうかがってみると、眠たそうな顔はしているものの、みんな普通の顔色をしていました。
どうやら青い顔をして苦しんでいるのは私だけのようです。
となると、ツアー中の食事はみんな一緒なので、原因はツアー前なのかな?
とりわけツアー参加前日に飲んだあの氷入りのジュースが怪しい。
しかし発生まで24時間もかかるものなのか。
いや重大な病気ほど潜伏期間が長いものだ。たぶん・・・。
やはり飲まなければよかったと、今更ながら後悔しても後の祭り。
食欲はないけど、少しでも食べておいたほうがいいかもと、無理やりパンを胃に流し込んでみたものの、すぐにトイレに直行しなければなりませんでした。
足取りもふらふらする。おでこに手を当てるとかなり熱いではないか。
無事にハノイまで戻れるだろうか。ちょっと心配になってきました。

朝食後はなかなかトイレから離れられなく、準備が遅れてしまい、他の人を待たせる事となってしまいました。
「アイム・ソーリー」と無理に笑顔を作ってロビーに下りると、みんなも「ノープロブレム」と笑いながら返してくれました。
うれしいにはうれしいのですが、みんなの元気な姿を見ていると、内心少々複雑です。
今日は昨日と同じルートでハノイに戻ることになっています。
まずはクルーズ船に乗り込みましたが、今日の天気も雨模様で、昨日同様に視界が悪く、景色は期待できない状態でした。
しかしそんなことはどうでもいい。とにかく起きているのが辛い状態でした。
約4時間の船旅は二、三度トイレに行った以外、ひたすら寝続けていました。
他の旅行者もあいにくの空模様なので、船から外に出て写真を撮ったり、風景を眺めたりする事はほとんどなく、船内でおしゃべりをしたり、寝たりしていました。
おかげで私の行動が目立つことはありませんでした。
船旅の記憶がほとんどない状態で、船は桟橋に到着しました。
船に酔ったのか、今度は吐き気までしてきました。
フラフラとした足取りで岸に上がろうとすると、足を滑らせ、危うく海に落ちそうになる始末。
本当に苦しい。何なんだこの腹痛は。もしかして赤痢とか・・・。

船旅が終わった後は、バスに乗り食堂へ。
食べ物を見ただけで、吐き気と腹痛がひどくなる状態の私には、悪夢のような辛い時間です。
しかし見栄っ張りな性格なので、他の旅行者に腹痛で苦しんでいる姿を見せたくはありませんでした。
テーブルの隅に座り、食べられそうなものを少しだけ胃に流し込む事にしました。
不味いツアーの食事なので、他の旅行者も箸があまり進んでいません。
おかげ今回も食欲がないのが目立たなく済みました。
食事といい、天気といい、他の旅行者には最悪続きなツアーなのですが、体調不良の私にとってはどうでもいい事でした。

無事に食事時間が終わると、少し休憩時間がありました。
休憩するよりも一刻も早くハノイに戻って欲しいのですが、しょうがありません。
じっとしていると気が滅入るだけ。
今はそんなにひどくないので、ちょっと外に出て空気に当たったほうがいいだろう。
少し外を歩くことにしました。
ただ、やはりいきなりの下痢が心配なので、いつでもトイレに駆け込めるようになるべくトイレの近くを歩き回っていました。
しかし心配をよそにこの時は行くことなく無事に休憩時間が終わりました。
もしかしたら治りかけているのかもしれない・・・。
そんな淡い期待を抱いて帰路のバスに乗り込んだのですが、椅子に座ると安堵感からか眠くなり、爆睡開始。
またもや4時間の道中は寝続ける事となってしまいました。
途中の休憩時間も一人バスに残り寝ていたので、流石に近くに座っていた人は、こいつは少しおかしいなと気がついたようで、ハノイに到着してバスを降りる時に大丈夫と声をかけてくれました。
もちろん見栄っぱりな私の性格の事。
大丈夫と答えたのですが、顔は真っ青で引きつっていたに違いありません。

~~~ §5、腹痛との闘い ~~~

ハノイに到着すると、何とかある意識で食料と水だけは買わなければと、途中でパンと水を大量に購入して荷物を預けている宿に向かいました。
この宿にチェックインするのは今回で3回目。
顔なじみなので面倒な手続きは不要。何かとやりやすいし、気が楽でした。
ここでも見栄っ張りな性格が出て、やー疲れたよと言いながらすぐに部屋に向かったのでした。
そして部屋に入ると、すぐにトイレに直行。
出すものを出し、ふと鏡に映っている自分の顔を見て、仰天。
真っ青でまるで幽霊のようではないか。
この顔を見てから急に怖くなってきました。
もしかしたら本当にやばい病気ではないか。
赤痢か?コレラか?怖い病名が頭をよぎりますが、その病気が一体どういう症状か分からないので、ただただ不安がつのるばかり。
今は考えてもどうしようもない事。考えれば余計に気分が悪くなるだけだ。
とりあえず水を大量に飲み、風邪を治す要領で汗を大量にかいて寝ることにしました。
明日回復の兆しがなければ病院に行こう。
ん?まてよ。明日は土曜日か。病院やっているのかな。
こういう時に限って思い出さなくてもいいことが思い浮かんでしまい、更に不安をかき立ててしまいました。

夜中と朝方と何度も目が覚めました。
その度にトイレに行き、出すものを出し、水を大量に補給し、パンを胃に詰め、汗でびっしょりの服を着替えて寝ました。
ひたすらその繰り返し。そして昼頃ようやくベッドから出ることができました。
昨日から一体何時間寝ていたのだろう。本当によく寝たものだ。
そのせいか布団から出てみると、かなり頭がすっきりしていました。
そしてすっきりした頭で改めて部屋を見渡すと、ベッドの周りには夜中に何度か着替えた服やら、パンの食べかすやら、空のペットボトルやらが散乱していました。
それにベッドは気持ち悪いほど汗で湿っています。
これぞ一晩中奮闘した壮絶な痕跡。我ながらよく頑張ったものだとまじまじと思いました。
しかし、見ていると昨日の苦しさを思い出してしまい、再び腹が痛くなってきました。
まだ治っていないようだ。
慌ててトイレへ行って出すものを出してみると、うれしいことに便の方も昨日よりはマシになっていました。
どうやら峠は越したようだ。この分だともう一日頑張れば治りそうな感じだ。
病院へは行かなくても済むぞ。
そう思うと元気が出てきて、汗で湿っている服を脱ぎ、シャワーを浴び始めました。
そして部屋の空気を入れ換え、散乱している服の洗濯に取り掛かりました。

昼過ぎからは暇だし、動く元気も出てきたので、少し散歩することにしました。
外の空気を吸ったほうが体にもいいはず。
そう信じながら歩き出したものの、振動で腹が痛みます。
やはり今日はあまり動かないほうがいいようだ。
歩くのは止め、近所の床屋に行く事にしました。
ちょうど髪も伸びてきたことだし、これからどんどんと暑くなるし、気分的にもさっぱりとしてみよう。
一気に短く角刈りにしてもらうことにしました。
これで気分はさっぱり。頭もよく冷えるはず。
ついでに体調のほうも・・・と淡い期待を抱いていたのですが、こっちの方はかなわず、夕方になると再び頭痛と熱がひどくなってきました。
あまり長い時間活動ができないようです。
それでも今日は何かまともなものを食べたほうがいいと思い、近くの食堂に足を運んで思い切って食事をする事にしました。
やけ食いだ。ショック療法だ。どうにでもなれ。
さっぱりしたものを選びながらも、満腹になるまで食べ続けました。
久しぶりの食事はやっぱりうまい。丸二日間パンしか食べていないからな。
ちょっと食べ過ぎたようで、少し気持ち悪くなりながら宿に戻りました。
そして、昨日同様に汗をかいて寝ることにしました。

~~~ §6、ハノイの曇り空 ~~~

翌朝起きると、昨日まで続いていた腹を刺すような痛みはなくなっていました。
まだ時々お腹がゴロゴロと雷のように鳴るものの、確実にトイレに行く回数も減っているし、頭の方も若干重い気もするけど今のところは調子がいい感じ。
もうかなり回復したようだ。こうなれば気分を入れ替える為にもハノイを脱出しようではないか。
昨夜から思っていた事を実行に移す事にしました。
なにしろハノイは連日曇り空で寒すぎる。
南に行けば当然ここよりも暖かく、天気もいいはず。
体調を回復させるにはその方がいい。
本当は急ぐ旅ではないのでハノイから少しずつ小さな町によりながらベトナムを南下していく予定にしていたけど、今はそんな元気がないので、一気に中部の都市フエまで南下する事にしました。
移動に関しても何のストレスも感じないツーリスト専用の夜行バスを使う事にしました。
盗難の心配もないし、途中で腹が痛くなってもすぐに対処してくれるはず。
観光客ばっかりを乗せたバスなので、旅の情緒は全くないけど、今はそんな贅沢な事を言っていられる状態ではありません。
午前中に今夜の夜行便のチケットを買いに行き、ついでに土産物屋に寄って幾つかの土産も購入しました。
これでとりあえず出発の準備は整いました。

ホアン・キエム湖4
ホアン・キエム湖1
ホアン・キエム湖2
ホアン・キエム湖3
ホアン・キエム湖の畔で

午後から夕方のバスの時間までは特にすることもない手持ちぶさたの時間となりました。
ただ部屋は12時でチェックアウトしなければならないので、当てもなくぶらぶらと町を歩くことにしました。
もちろん延長料金を払って部屋を使ってもよかったのですが、それなりに体調もよく、夕方までなら必要もないかなと思ったからです。
まあ、貧乏性の性格っていうのが大きいのですが・・・。
とはいっても再び頭痛、腹痛がひどくなるのが怖いので、熱心に歩き回る気にはならなく、町の中心にあるホアン・キエム湖の周りの公園でゴロゴロと過ごす事にしました。
ベンチに座っていると、次から次へと物売りの少年や少女が寄ってきました。
いつもだったら面倒くさいので相手をしないのですが、今日は暇な身。
町中で買うよりも高いけど、タバコやお菓子などを購入したり、まず当たらないだろうと思われる宝くじを購入してみたりしながら彼らの相手をしました。

相手をしながら感じたのは、彼らの全ての口から出てくるのが「貧しい」の一言だったことです。
今まで旅行していて貧しさを肌で感じることはあっても、ここまで人々が貧しいと口をそろえていう国はありませんでした。
貧しい国ベトナム。正直言ってまだベトナムに入国してあまり日が経っていないので事情はよく分からないけど、出会う人々は暴力的ではないし、目は澄んでいる感じがします。
だから私なりに素直な感想というか、思いやった感じで、「ベトナムは貧しくても人々の心は温かいし、豊かな自然も残っているではないか」と言うと、怒ったように「経済の豊かさが全てだ!」と言い返されてしまいました。
所詮は観光客の場当たり的な慰めでしかなかったようです。ある少年は前にレストランで会っていて、おやっと思って話し掛けると、笑いながら、朝は食堂の仕込みと配達の仕事をして、昼はこのように物売りの仕事。
そして夜にはレストランでの給仕をしていると話してくれました。
家はなく、5km離れた郊外の6人部屋のアパートが住まいで、毎日歩いて通っているとか。
その家賃が一日80円ほど。夜の稼ぎとちょうど同じでした。
大変な暮らしをしているんだ。
しかし同情はしてあげられても、彼の生活を変えることは私にはとうていできません。
私はただの通りすがりの旅人。それ以上にはなれない。
ふと、以前日本で「同情するなら金をくれ」という流行語になったドラマの言葉を思い出しました。
当時は別に感銘を受けるような言葉とは感じなかったのですが、これ以降妙に心に引っかかる言葉となってしまいました。
彼にしてみれば、まさに言葉通りのことを私に期待していたに違いありません。

彼と別れた後、ベンチに腰掛けながら彼を視線で追っていると、ひたすら通りかかる観光客に絵葉書などを売り込もうと声をかけていました。
当然のことながら観光客は彼の苦労は知ったこっちゃないといった感じで、その横を通り過ぎていました。
中には馬鹿にしたように、彼をからかいながら通り過ぎる人もいます。
いつもの私の行動と何ら代わりがないのですが、彼の苦労を知ってしまった今、私の心中は複雑でした。
我々観光客は貧しい国の人々の心をすさませる為にやってきているのではないだろうか。
これはある意味文化侵略ではなかろうか。
本当に心の豊かさは経済の豊かさの上に成り立っているのだろうか。
確かに思いやりとか、ボランティアなんていうのは一定水準以上の生活土台がないとできる事ではありません。
貧しければ自分の事で一杯一杯だろうし・・・。
様々な疑問が頭をよぎり、ハノイの曇り空のように私の心の中も曇ってきました。
私も所詮は金持ちの観光客の一人。興味本位での旅に過ぎない。
旅をしながらせめて私と仲良くなった人々だけでも幸せになって欲しいと願うだけ。
確かにこの国の人から見たら多くの金銭を持っているかもしれないけど、そのお金で何かを変えられるって程でもありません。
そう、実際無力なのです。だから無責任に人の生活に関わるような事をしない方がいい。
一生懸命生きている人に哀れみをもってお金を恵むというのも失礼な話だし、その人のためにもならないはず。
今はそう信じて旅を続けよう。きっとそのうち私なりの結論が出るはず。
この沈んだ気持ちと、苦しみ続けた腹痛、そして滞在中ずっと続いたぐずついた天気はハノイに置いて行こう。
そう思いながら夕方フエに向かうバスに乗り込みました。

灰色だったハノイの空  ー 完 ー

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<海外短編旅行記 第6話 灰色だったハノイの空 2002年2月初稿 - 2015年10月改訂>