風の足跡 ~風の旅人旅行記集~

ぐうたら香港滞在記

~ 第2章 香港到着 ~

*** 第2章 香港到着の目次 ***

~~~ §1、香港入国 ~~~

我々の乗った17時55分、成田発香港行きのユナイテッド航空UA801便は順調に高度一万メートルの上空を飛んでいました。しかし、静かなフライトとは裏腹に我々は狭さと戦っていました。窓側の3つある席を我々3人だけで占有しているのはいいのですが、100kgを超える重量級の友人と後輩と席が一緒なので、窮屈な事この上ない状態でした。3人の体重を合わせると恐らく260キロ以上。明らかにここの一角だけは重量オーバーです。これはかなわない。何とかならないものか。このままでは飛行機が墜落してしまうかも・・・ってなわけないか。とりあえず後ろのほうを見渡してみるものの、どうやら満席のようで空いた席はありませんでした。我慢するしかないか・・・しまった!チェックインの時、他人の振りをしておけばよかった。そうすれば普通の空間を持てたかもしれないし、もしかしたら可愛い女の子が隣の席だったかもしれない。きっとそうだったに違いない。窮屈さという現実に耐え切れず、空想の世界で快適さを求めていました。

ユナイテッド航空はアメリカの航空会社なので、きっとスチュワーデスの人は無愛想なおばちゃんばかりに違いない。今までアメリカ系の航空会社ではあまりいい思い出がなかったので、スチュワーデスに関しては諦めていたのですが、今日のフライトは比較的若い綺麗な人でした。これは予定外。狭くて憂鬱な中にもかすかな光明を見出し、少しは元気がでてきました。とりわけ一年前にアメリカに行った時に乗ったノースウエスト航空では、関取みたいに太ったおばさんがスチュワーデスでした。もちろん太っているからどうのこうの言うつもりはないのですが、唯でさえ狭いエコノミークラスの通路。食事などのカートの横をすれ違うのが大変なように、そのスチュワーデスとすれ違うのもひどく大変でした。乗客ならじっとしていてもらえば害がないのですが、さすがに頻繁に通路を行き来するスチュワーデスなので、多くの乗客が迷惑していて顔をしかめていたほどです。スチュワーデスに身長制限があるなら、体重制限も作るべきだと思ったのですが、人権問題に神経質な国アメリカなので無理なんだろうなと思った次第。その時の印象があまりにも強烈に残っていて、アメリカ系の航空会社に乗るといつもその事を思い出し、スチュワーデスに関しては諦めモードになってしまいます。

香港の空港で
香港の空港で

空の旅は狭い事を抜かせば揺れる事もなく快適でした。そして定刻よりも15分遅れて香港国際空港に着陸しました。香港といえば、ビルをかすめて着陸するのが有名です。香港名物ともいえる光景で、香港での最初の観光が飛行機の着陸だとも言われています。返還後は新しい空港へ移転するらしいので、このスリリングな着陸光景も今しか見れない貴重なものにちがいありません。そう思うと、見るほうとしても気合が入るのですが、あいにくと到着が夜だったのでいまいち迫力に欠けました。最初はなんとなく光の中に突っ込んでいくなと感じで、低空になるとビルの輪郭が見えて、あっ、すぐ下にビルがあるといった感じでした。それと香港の夜の名物といえばなんといっても100万ドルの夜景です。綺麗な夜景が飛行機から見れるぞと思っていたのですが、こちらもあいにくの曇り空だったのでいまいちもや~とした感じで綺麗に見えませんでした。友人はかなりの雨男だしな・・・。今回の旅はメンバー的にあまり天候に恵まれないかもしれない。

入国審査、税関をスムーズに終え、空港の玄関にたどり着きました。今回の香港旅行で唯一かつ最大の心配事は、こんな夜遅くに、しかも旧正月を二日後に控えたこの時期に、宿の当てが全くないことでした。もちろん何とかなる自信があって旅行計画を立てたのですが、行く数日前に何の気なくテレビを見ていると、返還前キャンペーンにつき香港の宿はどこも満室だと報道していました。もちろんそれはちゃんとした星が付くようなホテルの事で、私達が泊まろうとしている安宿とは違います。しかしそのニュースを見てからというもの、もしかしたら安宿も一杯では・・・と、少し心配になっていました。どう考えても星の数のようにある安宿の全てが満室ということはありえないから多分大丈夫だろう・・・と思うものの、なかなか宿が決まらなかったらどうしようとか、もし路頭に迷ったらどうしようかなどと、心配をし出したらきりがありません。いざとなれば少しお金を出していいホテルに泊まればいいや・・・といった何時もの逃げ道が使えないのは心理的に痛いものです。

人の流れについて玄関を出ると、大きなタクシー乗り場があり、長蛇の列が出来ていました。一人だと無理をしてでもバスなどの公共の安い乗り物に乗るのですが、今回は3人という団体様なので、財布のほうも心強い。ガイドブックによると市内までは目と鼻の先。タクシーでもそんなに値段がかからないようなので、タクシーで安宿の集まっている重慶マンションを目指す事にしました。ということで、長蛇の列の最後尾に並びました。それにしても長い列だ。これだったらバスのほうが早いかも。しかし辺りを見渡してもバスの姿が見当たりません。この時間はバスは頻繁に動いていないのだろうか。それともどっかにバスターミナルがあるのだろうか。探しに行こうか・・・どうしようか。ちょっと迷ったものの比較的頻繁にタクシーがやってくるので、列の進みは悪くありませんでした。まあいいか。大人しくしている事にしました。

列の進みに身を任せて並んでいると、一人の男の人が英語で声をかけてきました。「すみません、旅行者ですか?」「ええ、そうですが・・・」「だったら良いホテルを紹介するよ。車もすぐそこで待っているから。」 なんと予想だにしていなかったホテルの客引きでした。まさか香港で客引きをしているとは。しかも旧正月二日前の夜に・・・。意外な展開にちょっとビックリしてしていると、つづけて、「うちの宿は部屋がきれいだし、空調があるし、シャワーが付いているのに、これこれこういう理由で安くて便利なんだよ」とホテルカードを手渡して説明してきました。カードに書かれた住所を見ると、これから行こうとしている重慶マンションの中でした。彼についていけばこのタクシーの列に並ばなくて済みます。もし気に入らなければ何やかんや言って断ればいいことだし。タクシーとして利用するのもありかな。なかなか魅力ある誘惑でしたが、実際はそう都合よくいくとは限りません。断るとおっかないおっさんが出てきて法外なタクシー代を要求してくる事も考えられます。まだ香港の勝手が分かっていないし、旅始めからトラブルに巻き込まれたくはありません。まして旅の初心者を二人抱えているし。丁重にお断りする事にしました。ただ客引きが去ると、客引きがいるという事は安宿にはまだ空き部屋が十分にあるんだといった安心感が残りました。

~~~ §2、重慶マンション ~~~

20分ぐらい待って、やっとタクシーに乗れる事が出来ました。3人とはいえ、大きな図体の2人に大きなバックパックがあるので、実質5人分の重量はあったはずです。我々を乗せることとなった幸運なタクシーの運ちゃんは30代前半ぐらいの人のよさそうな男性で、子供がいるらしくダッシュボードの上にセーラームーンの人形が置いてありました。家庭的な雰囲気のある車内は、香港に不慣れな旅行者にはなんとなく安心感がありました。乗り込むと、目的地である「重慶マンション(ジュウケイ マンション)」と行き先を告げたのですが、運ちゃんは「あ~?」と首を傾げています。発音が悪かったのか、それともこれって和製英語なのか?そういえば漢字と英語(カタカナ)が混じっているし。仕方がないので、ガイドブックに書かれている漢字表記「重慶大廈」を見せると、「あ~チョンキン マンション」と頷いていました。チョンキン?ガイドブックをよく見ると、確かに重慶の横に小さく「ChunKing」と書かれていました。重慶(ジュウケイ)ってチョンキンと発音するんだ。香港がホンコンであるように地名は全て日本語読みで通じると思っていたのですが、どうやら違うようです。これは新たな発見でした。第二外国語で中国語を専攻していたのに、まるで役に立っていない私でした。

ネオンの花道
ネオンの花道

空からは明るく見えた香港でしたが、タクシーは暗い夜道を走り続けました。香港も意外に暗いんだな。当たり前と言えば当たり前の事ですが、香港といえば100万ドルの夜景のイメージが強烈にあり、日本以上にネオンだらけの町かと思っていました。と言うよりも、私の知っている香港というのは、きらびやかにネオンに飾られた華やかな繁華街だけだったようです。色んな香港があるんだな。ごく当たり前のことにしみじみと感動していました。最初のうちは運転手と「日本から来たんだ」などと他愛のない話をしていましたが、すぐに話題が尽きてしまい、途中からはセーラームーンやアニメに詳しい後輩にバトンタッチしました。そして20分ぐらい走ると、ようやく通りのネオンが華やかになり、街中の繁華街に入りました。これこそ香港。私が求めていた香港だ。ようやく香港に来たという実感が湧いてきました。それにしてもまぶしい。何でこんなにまぶしいんだ。その理由は助手席に座っていたのですぐに分かりました。看板が道路に張り出しているので、まともにネオンが目に入ってくるからです。それに一つ一つの看板がでかく、派手なものが多い。だからネオンに不慣れな人間にはやたらとまぶしく感じるようです。それにしてもこれはまるでネオンの花道ではないか。なんだか「ウエルカム 香港」といった感じで歓迎されている気分だな。看板を次々とくぐりながら思いました。

重慶マンションの正面入り口
重慶マンションの正面入り口

タクシーはしばらくネオンの花道を走り、ひときわ賑やかな交差点付近で車を脇に停めました。そして運ちゃんが「着いたぞ」と笑顔で教えてくれました。辺りを見渡すと、ネオンで明るいというか、カラフルな世界でした。なんだか目がチカチカするぞ。こんな繁華街に安宿があるのか。ここは紛れもなく一等地ではないか。唖然としつつも運ちゃんが指差す方向に目をやると、確かに「重慶大廈」と書かれたビルの入り口がありました。これが香港の安宿の王様として噂に名高いチョンキンマンションか。発音は知らなかったけど、「深夜特急」などの旅行記を読んでいたのでその存在を知っていました。そういった文献から私が想像していたのは、今にも倒れそうなおんぼろのうす汚い建物でした。しかし目の前にあるのはネオンで色どられた近代的な建物でした。正面玄関を見る限りなかなか綺麗で、ちょっとしたショッピングセンターっぽい雰囲気です。本当にここは安宿なのか?自分の知っている知識とはまるで違う展開にちょっと心配になってきました。

タクシーを降り、トランクから荷物を降ろしました。さてどうしたものか。重慶マンションまで来たものの、どこの宿にするかまでは決めていませんでした。これから頑張ってマンション内を探し回るしかないか。タクシーの運ちゃんにお金を払い、ガイドブックを開こうとするや否や、どやどやと大勢の客引きに囲まれてしまいました。しかも香港人というより、東南アジア系やらアラブ系の人が多く、見事なぐらい多国籍な顔ぶれでした。な、なんなんだ。思わぬ展開に再び唖然。なんだか有名スターになった気分です。タクシーを降りたら、サインをねだりに来るファンに囲まれる。まさにそんな感じでした。しかし、そんなのんびりとした事は言っていられません。我々は多忙なスターなので、いちいち全てのファンにサインを書いている暇がありません。おまけに字が汚い。なによりも疲れているのだ。振りきって建物に入ろうとするものの、旅に不慣れでお人好しの二人がいるので、すぐに一人の熱心なファンに捕まってしまいました。それは背の低く、声のでかいおばさんでした。

我々を捕まえたおばさんは、ある意味この客引き連中の中で一番強そうでした。そしておばさんは逃げ切れなかった友人と後輩を捕まえ、熱心に自分の宿の説明を始めました。ちょっと離れたところから困っている二人を見ていると面白い。完全におばさんとこの異様な雰囲気に圧倒されていて、何とかしてくれと泣きそうな顔をしていました。バックパッカーの旅というものはまあこういう事の連続。普段私がしている旅を理解できるいい機会だ。これで我輩の凄さを肌で実感できるに違いない。しめしめ。なんて思いながら眺めていると、一人の客引きが私の袖を引っ張ってきました。なんだい?その方向を見ると、アラブ系の若者が遠慮がちにホテルカードを渡そうとしてきました。こっちはこっちで交渉すれば、競いあって安くなるぞ。それにしても何でそんなにこっそりと渡してくるのだろう。ちょっと不審に思いつつそのカードを受け取ろうとすると、間髪いれずに物言いが入りました。ちゃんとこのおばさんは見ていたようで、凄い剣幕で私にカードを渡そうとした客引きに対し怒り始めました。今私が交渉している最中なのだから、余計な口出しをするな!といった感じです。な、な、なんなんだ。私の目論見を見抜かれてしまったのか。それとも重慶マンションの決まりごとなのか。なんだかよく分からないけど、我々は客引き同士の争いを唖然として眺めているしかありませんでした。

ホテルカード
ホテルカード

そんなわけで我々の周りに群がっていた客引きは見事にこのおばさんに追い払われてしまい、彼らは少し離れて交渉の行方を見守るようになりました。それにしてもこのおばさんは何なんだ。やたらと強いぞ。マフィアとか、権力者の娘なのか?いやそんな人が客引きをしているはずがない。よく分からないけど、悪そうな人でもなさそうだ。香港の下町っ子といった感じなのかもしれない。何にしてもこれでこのおばさんの独断場。私も交渉に加わらずを得なくなりました。おばさんが改めて私に渡してくれたカードには「マンダリンゲストハウス」と書いてありました。特に当てがあるわけでもないし、悪そうなおばさんでもなさそうだし、このよく分からない状況を打開するためにも、とりあえず付いていき部屋を見せてもらう事にしました。

脇の入り口付近
脇の入り口付近
シャッターの閉まった通路
シャッターの閉まった通路

おばさんは客引きなどが群がっている正面の入り口ではなく、ちょっと離れたところにあった別の入り口から重慶マンション内に入って行きました。これが薄暗く、怪しい雰囲気の通路なので、怖い事。ここはどこ?本当に重慶マンション内なのか?もしかして別のビルに誘導されていたりして・・・勝手が分からないので微妙に不安。きっと他の客引きから我々を遠ざけたかったのだろう。そう善意に解釈しつつも、不安は増すばかりでした。しかもおばさんは我々の心配など構わず、どんどんと早足で進んでいきます。うっ、待ってくれ。暗闇を手探りで進んでいるような我々を置いていく気か。躊躇いがちの足にはしんどい速さです。こうなったら覚悟を決めて付いていくしかないか・・・このおばさんを信じよう。

怪しい雰囲気の店を通り過ぎると、辺りは薄暗くなり、通路の両脇は全てシャッターが下ろされていました。まるで倉庫の通路を歩いている感じです。しかも隅っこの暗がりでは黒人などが囁きあって、こっちを見ているではないか。この光景はどっかで見たことがある。そうだ。アメリカ映画などで、夜の廃墟とした街角でちんぴら達がたむろっているシーンだ。たいがい主人公は襲われるんだよな・・・ここから生きて帰れるのであろうか?不安が不安を呼び、不吉な考えが頭をよぎってきます。このおばさんはやっぱり悪の手先では・・・だとしたらこの先に待っているのは・・・香港マフィアか!そうだとしたら絶望的ではないか。「日本人大学生3人、香港で失踪」ってな見出しが頭に浮かび、さすがに私も顔が引きつってきました。

E棟のエレベーター
E棟のエレベーター

100m近く歩くとエレベーターの前に到着しました。これがなんともオンボロ。そして怪しい雰囲気をかもし出していました。おばさんはエレベーターのスイッチを押し、エレベーターが降りて来るまでの間、Eと書かれたプレートを指差しながら、「ここはE棟だよ。忘れるんじゃないよ」と説明してきました。「E」という事は「A・B・C・D・・・E」だから少なくとも5つに内部で分かれているようです。結構でかいな。それにしてもこの不気味な雰囲気はたまらん。エレベータを待ちながらもかなり不安でした。内部に囚われのお姫様でもいるのならガッツも出てくるものですが、ただ宿を捜しに行くのに気合が入るはずもありません。3人いるといっても不安なものは不安で、怖いものは怖い。何時背後からナイフを持った輩が現れ「金を出せ」と言ってくるかもしれません。心配で常に辺りをきょろきょろと注意深く警戒していました。そして何時壊れてもおかしくないような2基のエレベーターのうちの片方が降りてきて、乗り込むとおばさんは13階のボタンを押し、今度は13階はとても便利なんだと説明してきました。後でこの便利さは分かる事になるですが、この時はそんな事分かるはずもなく、なんちゅう不吉な数だと更に不安が増しただけでした。

エレベーターが13階に到着すると、そこにはマンダリンゲストハウスと看板が掲げられた入り口がありました。ちゃんと宿があった。内心、暴力団の事務所みたいなところへ連れて行かれたらどうしようかと心配もあったので、正直ホッとしました。おばさんが厳重に鍵のかかった扉を開けながら「安全でしょう」と笑いかけてきました。私も笑いながらうなずきました。とりあえず恐怖心が消え、やっと笑顔が戻ってきたようです。

~~~ §3、マンダリン・ゲストハウス ~~~

マンダリン・ゲストハウスの入り口
マンダリン・ゲストハウスの入り口

宿に入ると宿の主人かつ、このおばさんの旦那さんに迎えられました。おじさんは仕事中だったらしく、挨拶を済ますとすぐに机に戻っていきました。そして奥に進み、おばさんが「この部屋だよ」と紹介してくれた部屋に入ると、思わず「う~」と唸ってしまいました。もちろん部屋の中でマフィアのボスがタバコをふかしながら待っていたわけでもないし、カビが生えているような不清潔な部屋でもありませんでした。ただ恐ろしく狭い屋だったからです。これは狭すぎる・・・しかも、ベッドがシングルとダブルの2つしかありません。大の大人の男が3人滞在するにはあまりにも狭すぎるではないか。なによりも我々は100kg級の巨体が2人いるんだぞ。飛行機でも大変だったんだぞ。どう考えてもこの面子でこの部屋は狭すぎるだろうと抗議をこめた顔でおばさんの方を見ると、いたって涼しい顔をしていました。何か不満があるの?といった感じです。確かに狭い事を抜かせば、部屋の装飾は白で統一されていて、清潔感あふれているし、隅っこにはテレビも置いてあります。それにエアコンも付いていて、狭いながらトイレ兼シャワールームもあります。ただ、いかんせん狭すぎる。体格・・・とりわけ横幅でいえば我々はヨーロッパサイズなのだから。

「もっと広い部屋はないか?」と尋ねると、三人で使うにはこの部屋しかないし、2人と1人に別れて使うにしてもシングルの部屋は先客がいるそうです。それにおばさんが言うには、この広さなら十分滞在できるではないかとの事でした。そう言われると、そうかもしれない。重慶マンションは一等地にあるもんな。安宿として名高くても家賃などはそれなりにするはずだし・・・。そう考えると、この狭さが重慶マンション、いや香港では標準なのかもしれない。これ以上の広さを求めるのは香港では贅沢な事なのかもしれないと妙に納得してしまいました。では一体いくらなんだ。それなりに安ければそれはそれで我慢しなければなりません。値段を聞いてみると、360HK$との返事でした。一人あたり120HK$、日本円で考えると2000円強になります。初めての香港に来た我々にとってこの値段が高いのか安いのかはよくわからないけど、この狭さでこの金額はちょっと高いような気がしました。

ガイドブックを見ると、重慶マンションの相場は100HK$前後との事。テレビ、エアコン、シャワーが付いているならこの値段も妥当なところだろうか。空港で声をかけてきた客引きも、さっきマンションの下で声をかけてきた客引きも、確か似たような値段を言っていたような気がします。恐らくどこの宿も同じような値段を設定しているのでは。ただ同じ金額でも、他の宿ではもう少し広いかもしれないし、あるいはベッドが3つあるかもしれません。そう考えると、もう少し別の宿を捜したほうがいいような気もします。他の2人に聞いてみると、どうでもいいとの返事でした。初めての海外旅行。しかもこんな安宿の集まる得体の知れない重慶マンションに連れて来られれば無理のない事だろう。となると、私がしっかりしなければ・・・さてどうするか。納得いくまで宿を捜すか。・・・いや、正直言って他の宿を見て周る選択肢はあまり気が進みませんでした。飛行機に揺られて疲れているし、なにぶん夜も遅い。何よりこの得体の知れない重慶マンション内を夜中にうろちょろしたくはありません。宿を探すったって、A棟の10階に行って、次はC棟の8階なんていうのは非常に面倒臭いし、途中で迷子になりそうな予感。もちろん一階に降りれば再び客引きが宿を案内してくれるだろうけど・・・、やっぱり勝手が分からないので不安なものは不安です。それは旅の初心者である友人達の方が私以上に強く感じるに違いありません。となると、ここに決めるべきだな。最悪の場合、明日落ち着いて宿を換えればいいし。

という事で、おばさんと値段の交渉を始める事にしました。もちろんこの狭い部屋をそれなりに広く使う策があってのことです。やっぱりこの狭さで2000円は高い。私の頭の中では一泊2000円以内が目標であり、使命でもありました。日本を出る前、このバブル絶頂期の香港で一泊2000円以内で泊まれるまともな宿などはないと大学で散々言われてきたし、連れてきた2人にも1日当たり5000円もあれば十分楽しく旅行が出来ると宣言していました。だから宿代はできるだけ安く抑えないと公約違反になってしまいます。いや、そんな事よりも、明日以降この宿に泊まるにしても、宿代は毎日払うものだからもっと安くしておくことに越した事はありません。しかし重慶マンションの相場を知らないので、切り札というか、他の宿との比較ができないのが辛いところ。おかげでなかなかしんどい交渉でした。おばさんはテレビ、エアコン、シャワー、トイレが付いてこの値段は安いと言ってきますし、私は3人で泊まるには狭すぎる。5泊滞在するからもっと安くして欲しいと言い続けました。やはり切り札としての「高いから別の宿に行く」というカードが使えなかったので、交渉はだらだらと長引き、結局30分後、料金は300HK$とお互いが妥協したところで決まりました。これで一人当たり1700円ぐらい。理想は1500円のラインでしたが、まぁなかなかの線まで頑張ったはず・・・。

最終的に決定を下した一番の要素は、おばさんの熱心さが気に入った事でした。もちろん商売だから当たり前なんだろうけど、それ以上に信頼が置けそうな気がしたからです。マンション入り口での客引き騒動の時でもそうだったけど、なかなか頑固で手ごわい反面、「この重慶マンションは良くない人が多いから気を付けなさい」としきりに我々の事を心配してくれます。1階の暗がりの雰囲気やこの宿の厳重な扉からもそれは容易に想像が付きます。その点この宿は一番奥がオーナー夫婦の部屋だし、こじんまりしていて安全そうです。狭さと少しの値段の高さは安心料として考えてもいいではないか。100円をけちって盗難や傷害などにあってはせっかくの旅行が台無しになってしまいます。やはり旅は安全に楽しく行う事を一番最優先にしなければ。

無事に宿が決まると、おばさんが部屋に「ウエルカムドリンクだよ」と缶ジュースを持ってきてくれました。それを飲みながら、まずは一服。こういう些細なサービスも好感が持てます。狭いけどなんとか香港で落ち着く場所を手に入れる事ができたぞ。今回の香港旅行での一番の憂いを断つ事ができて一安心。安堵感と満足感が混じった一服でした。気分が落ち着いてくると、気が緩んだせいかとても腹が空いているのに気が付きました。さっきあれだけ交渉を頑張ったからお腹が空いていて当然か。それに飛行機で物足りない機内食を食べただけだもんな。何か食べに行きたいな。それが駄目でもコンビニかどこかで水などを買っておきたい。でも、こんな深夜に外出して大丈夫だろうか。おばさんに聞いてみると、隣のビルの地下にある食堂だったらこの時間やっているし、安全だよと教えてくれました。「でも、気をつけていくんだよ」とおばさんに見送られて、早速宿を後にしました。

先程の壊れそうなおんぼろのエレベーターに乗っていると、途中の階で黒人の人とアラブ人の人が乗ってきました。狭いながらなかなか国際色豊かな空間です。お互いに無口でありましたが、人種、宗教観を越えて考えている事は同じ。早く1階に着かないかなという事で、扉の上に表示された階数の数字をみんなで見上げていました。ふと友人と後輩の方を見ると、こういう場面に慣れていないせいか、少々顔がこわばっていました。普段外人を見慣れていないとやはり怖く感じるものです。特に図体のでかい人種は威圧感があり、何をされるわけでもないのですが、本能的に少々身構えてしまいがちです。

1階に着くと、先程より身軽になったせいか、気分的に落ち着いたせいか、余裕をもって辺りを見渡す事が出来ました。そこで見たものは多種多様の人種の人達でした。インド人、タイ人、アラブ人、欧米人、黒人、中国人、日本人、韓国人・・・。様々な人達が様々な理由でこの重慶マンションに集まり、一時的にしろ生活を営んでいるようです。一体ここは香港なのであろうか?ふと別の世界に迷い込んでしまった感覚がしてきまた。それと同時に懐かしい風を感じていました。カイロでの喧騒、イスタンブールでの異国情緒、アメリカのスラム街での恐怖・・・様々な出来事が頭をよぎり、その時と同じような風がここでも吹いている事に気が付きました。そうだここは海外なんだ。紛れもない海外なんだ。そして私は旅人に戻ったんだ。半年前の旅の感触が徐々に戻ってきたようで、気合の抜けまくっていた私の尻に鞭が入りました。今までの観客気分から一変して、ようやく旅という舞台に上がった役者になった気分になってきました。よし頑張るぞ。再び旅が始まったんだ。

~~~ §4、恐怖の夜 ~~~

隣のビルの看板
隣のビルの看板

宿のおばさんが教えてくれた隣のビルの地下にある美食廣場(フードプラザ)に夜食を食べに行ってみると、中国文化圏らしくメニューの種類が沢山ありました。ここはショッピングセンターの地下にあるせいか、メニューは写真入り且つ英語でも表記されていました。これは香港の初心者でも分かりやすい。だから宿のおばさんはここを紹介してくれたのだろうな。そんな事を思いつつも、とにかく腹が減ったぞ。さて香港での最初の晩餐。何を食べようか。種類が多いと選ぶのも大変ですが、いきなり得体の知れないものを食べて、腹を壊したり、胃もたれを起こしたくありません。そういう冒険は明日からにしよう。夜も遅いことだし。今回は無難に一番さっぱりしていそうに思えた焼きうどんみたいなものを選びました。値段は意外に高く25HK$(420円)もしました。これは深夜の為なのか、香港の物価なのかはまだ分からないけど、香港に着いてタクシー代、宿代に続いて3回目の出金となりました。

ここは学食というか、高速道路のサービスエリアみたいに番号制になっていて、料理が出来上がったら番号を呼ばれるシステムになっていました。私の札は65番。中国語で65はなんと言うんだ。私の中国語レベルでは難解な部類です。簡単な一桁の数を渡してくれればいいものを・・・。しょうがない、カウンターの前で待っていよう。そう思ったものの、番号を呼んでいるのを聞いていると、ありがたいことに中国語と英語の両方で呼んでいました。さすが国際都市香港。こういう事は香港では標準なのだろうか?それともここが特別なのだろうか。今は見るもの成す事全てが新鮮な状態です。とりあえずは席に戻ろう。しばらく待っていると私の頼んだ焼きうどんのようなものが出来上がりました。味はどうだろうか。見た感じは日本の焼うどんとあまり変わりません。ちょっとソースの味が濃そうな色をしていましたが、食べてみると、あっさりとしていて淡白な感じがしました。日本なら色の濃さで味の濃さが決まる事が多いのですが、こっちでは味のつけ方が違うようです。それにしても見た目の先入観と、淡白な味とがアンバランスで、例えようもない不思議な味に思えました。

食べ終わると、飲み物を買って宿に戻る事にしました。まだ香港に来たばかりなので、どうも落ち着きません。それに時差の二時間を入れると、今日は26時間稼動している事になります。今日のところは大人しく寝よう。おんぼろの壊れそうなエレベーターで13階に上がり、厳重な扉が閉まっている我がゲストハウスの扉のブザーを鳴らしました。すぐに中でごそごそ動く音がして、扉についている覗き窓が開いて、おばさんの目が現れました。そして目が合うとおばさんはにっこりと笑い、扉のカギを開けてくれました。なかなか用心深くて安心できると思ったのですが、それと同時に、やっぱりここは治安があんまり良くないのではと少々心配にもなってきます。

部屋に戻ると、ちょっとまったり。この部屋を二人で使うなら全く問題はないのでしょうが、100キロ級が2人いる現状では3人が部屋にいるだけで少々窮屈です。まっ、それは言いっこなしといったところ。部屋の雰囲気を明るくするためにも、せっかく付いている事だしと、部屋にあるテレビの電源を入れてみました。当然の事ながら中国語での放送なので、何を言っているのかさっぱり。チャンネルを変えてみると、色々な番組がやっていました。バラエティーは言葉が分からないとこれほどつまらないものはありません。英語のニュースもやっていましたが、今はそんな重いものを見る気分ではないのでパス。結局無難な香港映画にチャンネルを合わせました。恐らくB級と思われる香港映画で、主人公がテンポのいいアクションを演じていました。そういえば中国返還後の香港はどうなるのかといった番組で、香港映画の進退を、あ~でもない、こ~でもないと議論しているのを思い出しました。中国政府の規制により、面白くなくなるのではといった見解が主流だったな。一体どうなるのだろう。自分が今香港にいるので、中国返還も他人事ではなく、なんとなく重要な問題に思えてきました。友人や後輩はどう思っているのだろう。二人の方を見ると、もう目がとろ~んとしていて、半分閉じかかっていました。相当眠そうだ。やっぱり香港返還は他人事だったようです。

部屋の見取り図

まあもう夜も遅いし、明日からは香港観光が控えている。寝るか。明日からの予定を簡単に決め、我々は寝床を作る事にしました。片方のベッドが大きいといっても、大の大人が二人寝るのには狭すぎるし、知った仲とはいえ男同士で密着して寝るのはあまり気持ちがいいものではありません。私の考えた苦肉の策は、小さいほうのベッドのマットを床に敷き、そこで一人寝るというものでした。値段を考えるとしょうがないといったところ。でも、この方法が一番快適に寝られるはず・・・。あまりにも不快なら明日宿を替えよう。という事で、寝床がふかふかで、ちょっと荷物があるけど快適な大きいベッド。マットがなく、寝心地の悪い小さなベッド。ある意味一番空間的に広く、ふかふかのマットが敷いてある床。ただし、他の人が落ちてきたり、トイレなどに行く際に踏まれたりとちょっと危険が伴います。この三種類の寝床に分ける事にしました。大きいベッドが一番当たりといったところだろう。誰がどこへ寝るか。隊長特権として大きいベッドを占有するか。いやいや、後腐れがないようにここは公平にじゃんけんをして場所を決めました。そして初日は吉といった感じで、狭い方のベッドに決まりました。

寝る用意を済ませてベッドに入ってみると、自分の選択したこのベッドはかなり寝難い事が判明しました。マットのないベッドは木の床に直に寝ているのと同じなので、非常に体が痛い。うつ伏せがいいのか、横向きがいいのか、仰向けがいいのか、色々と試してみるものの、どれも少したつと体のどこかしらが痛くなってきます。これは快適とは程遠い寝床ではないか。そうだ寝袋を持ってきているんだ。慌てて鞄の中から寝袋を引っ張り出して敷いてみました。いかんせん薄い寝袋なので、体の痛さは幾分増しになったものの、やはり痛いことには変わりありませんでした。仕方ない我慢しよう。ふと床を見ると、私のマットを敷いている友人は、もう既にいびきをかいてぐーすかと寝ていました。くそ~こっちはこんなに苦労しているのに・・・。私の考えでは大きいベッド←小さいベッド←床の順で快適さを得られると思っていたのですが、どうやら大きいベッド←床←小さいベッドの順だったようです。

ベッドの硬さの為と、旅に出た興奮からか、なかなか寝つけませんでした。う~駄目だ。気を落ち着かせようとすればするほど、興奮してくるものです。しょうがない。日記でも書いていればそのうち眠くなってくるだろう。枕元にある電気を付けて、「2月5日 日本出国、そして香港に無事に到着。待ち合わせに友人遅れる・・・・」などと書いていると、「ドタン、バタン、ウギャー、バシッ」と得体の知れない凄まじい音がしてきました。何だ。何事だ。びっくりして体が固まりました。ドアのすぐ外で恐ろしい殺戮などが起こっているのか。それとも隣りの部屋か。この部屋にも悪漢が入って来るかもしれない。思わず身構えつつ、音の特定と方向を確かめようとしたのですが、次の音がなかなか聞こえてきません。どうやら取り越し苦労だったようだ。もしかしたら夫婦喧嘩かな。ここのおじさんとおばさんなのかな。中華系の人は声がでかいからな・・・。ははは。顔を引きつらせつつも、無理やり笑おうとしている自分がいました。

しばらくは何も起きなく、何だったのだろうと不安に思っていると、再び同じような音が聞こえてきました。再びビックリして体が固まりました。なんだ。今度こそは・・・よく耳を澄ますと、どうも上の階から聞こえてくるようです。壁も薄そうですが、天井の薄さもなかなかのものです。上の階での事なら少々何が起きようと、とりあえずは安心だ。いくらなんでも床が抜けなんて事はない・・・よな。たぶん。張り詰めていた緊張が解け、心にゆとりが戻ってきました。ふと友人と後輩の方へ目をやると、スースーと寝息をたてて寝ていました。怖くて狸寝入りをしているのだろうか。しばらく様子を伺ってみるものの、どうやら本気で寝ているようです。なかなか図太い。きっと初めて個人旅行で私の気がつかないうちに疲れていたのだろう。それにしてものんきなものだ。もし押し入り強盗が入ってきたらどうするんじゃ。あれこれ考えていると日記を書いたり、ガイドブックを読んだりする気分ではなくなり、部屋の電気を消して寝る体勢に入りました。

部屋を暗くすると、時々起こる上の階でのドタバタが余計に気になってきます。安宿なんだからしょうがないか。それにしても一体何が起きているのだろう。何人なのだろう。全くもって姿が見えないから、考えれば考えるほど気になってきます。もし1人で泊まっていたらかなり不安だっただろうな。この時だけは横で疲れ果てて寝ている二人を心強く思いました。寝人に口無し、起きていると心配性の2人で、見ているこっちまで不安になるのですが、寝ていると頼りになります。そんな事を考えていると、上の階での国籍不明の騒動が一段落したようで、静けさが戻りました。その後もどこからとなく笑い声や唸り声が時々聞こえてくる中、重慶マンションの夜は更けていきました。

第2章 香港到着  ー 完 ー

「第3章 香港島上陸」に続く

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<ぐうたら香港滞在記 第2章 香港到着 2000年1月初稿 - 2015年10月改訂>